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かつて『「日本国憲法を読み直す」』(講談社)で、作家の井上ひさし氏と樋口陽一教授が憲法9条を守るという文脈で、改憲派の論理をトリック」だとして反証していましたので、面白いのでご紹介します。こんな対談本を読んで納得する護憲派は低リテラシーと言われてもしかたがありません。
井上ひさし:・・・次のような論法で平和主義者が切り崩されることがよくあります。自分の家族、妻や子供がいきなり誰かから殴られたらどうするんだ、ガマンできるか。こう言われたら、やっぱりガマンできないわけで、それじゃ、国だってそうだよ、と言われたら、これに反論し、違うよと説得する方法がない。
樋口陽一:悪いやつが入ってくる危険性があるから戸締りが必要だという、例の「戸締り論」ですね。この国の改憲論者たちは、初期の再軍備のときからそのような議論の立て方でした。しかし、個人の問題と国家の問題とは論理的にまったく違う問題ですから、この言い方は一種のトリックです。
これはトリックでも何でもありません。どの国も国防に関しては同じ論理に立脚しています。「この国の改憲論者」が「そのような議論の立て方」をわざわざしなければならないのは、「この国」の憲法典だけが異常だからです。他国は今更とりたてて言う必要もないことだから言わないだけです。
それに井上ひさし氏の提示した例では、自分が襲われたら、ではありません。「自分の家族、妻や子供が」襲われたら、です。家族は個人ではありません。「家族の問題」から「国家の問題」を類推している例を「個人の問題と国家の問題」を混同している人の話に摩り替えています。
井上ひさし:ぼくも、国の次元が個人の問題にすり替えられていると思います。
おや?最初に「自分の家族、妻や子供が」と言った本人も、舌の根の乾かぬうちに「個人」に摩り替えてしまいました(笑)
樋口陽一・・・この世に水や空気があるごとく論証を必要としないものとして国家には自衛権があるという前提から出発している。国家の自衛権を、個人の正当防衛というまったく別の問題と同じにしてしまっているのです。急迫不正な侵害を受けたとき、たとえば、路上で暴漢に襲われたときなどに比例的な範囲で相手を撃退する、そのために仮に相手が死んだとしてもそれは違法ではないとされる。これが正当防衛の権利です。
こうした権利が個人にあるのだから、国家にも自衛権はあるはずだという論法なのですが、しかし、そこには個人という、それ以上は分解できない、憲法論にとっての思考単位と、国家という、人間が約束事でつくった人工的な集合体とを同一視している点で、すでに最初の出発点にトリックがあります。
だからここでは、「個人」の話など誰もしていないのであって、「自分の家族、妻や子供が」襲われたら、というのが「最初の出発点」だったでしょう。こういうのこそトリックというのです。
樋口陽一氏の論法だと、家族も決して「それ以上分解できない」固体ではありませんから、「水や空気のように」家族を守るのは当然という発想も疑わねばならなくなります。強いて樋口陽一氏の論法を用いるなら、個人はそれ以上分解できないから正当防衛の権利はあるが、夫婦とはもともとは他人であったもの達が人工的に契約を交わして作った集合体だから、たとえ妻が襲われても夫には反撃する権利はない、ましてや国家においてをや、という展開をしなければならなかったのです。
しかしながら、どうや井上ひさし氏も樋口陽一氏も「自分の家族、妻や子供がいきなり誰かから殴られたらどうするんだ、ガマンできるか」と言われたら、「やっぱりガマンできない」し、自分と一緒にいるときに「自分の家族、妻や子供が路上で暴漢に襲われたとき」には自分が相手を撃退しようとするのでしょう。結局両名とも「これに反論し、違うよと説得する方法がない」ままで終わってしまい、なんとも哀れな対談でした。
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(1) 新党は従来の政党とは全く異なるものを目指す。既存政党の再編などではなく、既存政党の全否定だ。その表現が不穏当であれば、今の政治の外にもう一つの政治をつくるということである。
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